ポップミュージックの顔が変わりつつあります。もっと正確に言うと、ラップトップの背後に引っ込んでいるのです。
「アーティスト」という言葉がリードボーカルを意味していた時代があった。
マイクを手に持ち、ステージの中央に立つ。あなたが聞いた声、あなたが見た顔。プロデューサー?クレジットのどこかに名前がある。カッコ内の名前。スタジオの奥でサングラスをかけた影の人物。
その時代は終わった。
2025年、曲のサウンドは、その曲に載っている声よりもよく知られることが多い。プロデューサーはトラックを作るだけでなく、その個性を定義している。ミックス、ドラム、リバーブの余韻がスネアに当たる具合—これらが新たなフックであり、サインなのだ。
そしてますます、これらは単に技術的な成果ではなく、芸術的なアイデンティティとして扱われている。
サウンドが主役のとき
トラックをかけるとすぐにわかる:
その軽快でメロディックな808のビート? Metro Boomin。
無反省に歪んだデジタルテクスチャー? Arca。
ソウルフルなスウィング、潜水艦のような低音、スネア間の空間? Kaytranada。
にじんだボーカルディレイと心に響く瞬間音? Sophie(安らかに眠れ)。
半分悲しくて半分おバカなループ、それに気づかずに好きになっていた?おそらくOmar Apolloのプロデューサー。
それは単なるスタイルではない。それは著作権だ。
そして時には、その音のサインがアーティストを凌駕することがある。それはボーカリストが優れていないからではなく、サウンドデザイナーが際立っているからだ。
インスタグラムのプロフィール、ライナーノーツではなく
かつてプロデューサーはライナーノーツで感謝されていた。今ではSpotifyで共同クレジットが与えられ、自身のプレスショットが掲載されている。
超コラボの時代では、誰もが「客演」になる。アーティスト、プロデューサー、ボーカルプロデューサー、シンセプログラマー、TikTokコーラスの設計者。ドラムラックを作った人も、影響力が十分あればタグ付けされる可能性がある。
私たちはプロデューサーが:
フェスティバルのヘッドライナーになる
ボーカリストをゲストに迎えたソロアルバムを出す
ビジュアルブランドやグッズラインを立ち上げる
アーティストとしてインタビューを受ける
音はもうカーテンの裏に隠れていない。それはカーテンそのものなのだ。
ブランドとしてのプロデューサーの台頭
それはビートだけでなく、アイデンティティの問題でもある。
プロデューサーは自らの音をファッションデザイナーのようにブランド化している。タグ、ロゴ、プリセットパック、プラグインライン、シグネチャーサンプルパック。さらには発売時のビジュアル—グリッチーなティーザークリップやローファイのツアー写真、スタジオポートレート—もその人物像の一部だ。
これは匿名のプロデューサーの典型ではない。これはオートゥールであり、ワールドビューを持つ者だ。
ノア「40」シェビブのミックスを聞けば、ただドレイクを聞いているのではない。それは40の感情的なEQカーブ—ポップラップの時代と同義となった暗くミニマルなムードを聞いているのだ。
マイク・ディーンも同様だ。アーティストを取り除けば教会のようなシンセと濃いマリファナの香りの空間が残る。ボーカルはオプションだ。
業界(そして私たち)について何を言っているか
ストリーミングプラットフォームが音楽を音、ムード、瞬間に細分化する中で、音のアイデンティティはジャンルやチャート順位よりも重要になっている。独自のサウンドを持つプロデューサーは、歌わずとも文化の片隅を切り開くことができる。
そしてリスナーは?それに気づいている。
人々はバンドを追いかけたようにプロデューサーを追いかけている。顔ではなく音を追うのだ。クレジットをスクロールして、誰がそのトラックを作ったのか—誰がそれを歌ったかではなく—を知り始めている。
それはニッチなことではない。それは新しいモデルだ。
では今、アーティストとは誰なのか?
アーティストは依然としてアーティストだ。しかし、著作権のバランスは変わった。音の建築家たちが影から姿を現している。そして多くのケースで、プロデューサーこそが思い出に残る声である—たとえ言葉を発していなくても。
次回、ボーカルが始まる前に曲が心に響いたら、こう思ってほしい:
それがリードシンガーだった。
ただステージに歩いてくるのを見ていなかっただけだ。
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