Rosalíaの「SAOKO」がポップソングライティングを書き換えた理由

ジャズのイントロがレゲトン・クラブに迷い込んだら…

ポップスターたちが無視しているふりをしながら、実は従っているルールブックがある。早めにフックを置き、何度も繰り返し、最後は大きく締める。Rosalíaは? それをミキサーに放り込み、エンジンオイルを足して、火をつける。ジャンルを粉砕するアルバム『MOTOMAMI』のオープニング曲「SAOKO」で、彼女は静かに革命的なことをやってのける。あのクソみたいなコーラスを、最後まで一切くれないのだ。

その代わりに待っているのは、ジャズの不協和音、レゲトンの攪乱、ビートの切り替え、そしてメロディというより宣言文のように響く断片化されたリリックが90秒続く展開だ。なのに、これがちゃんとハマる。しかも、強烈に。

そもそも SAOKO って何?

まずは言葉から始めよう。Saoko は、プエルトリコのスラングで、スワッガー、味、ジュース、つまり音としてのアイデンティティを誇示するような感覚を指す。2004年には Daddy Yankee と Wisin が、初期2000年代の気概が脈打つレゲトンの隠れた名曲のタイトルとして使っている。Rosalía はそれをほとんど原型を残さないほどにサンプリングし、幽霊のように、断片化し、まるで自分のものかどうかも分からない記憶のように残響させる。

そして彼女はそのタイトルをマントラへと変える。「Saoko, papi, saoko.」 これはコーラスじゃない。これは脅しだ。

ビートの切り替えこそが、いまやコーラス

「SAOKO」は積み上げるのではなく、急旋回する。曲の冒頭数秒は、Thelonious Monk のセッションから迷い込んできたようなジャズ・ピアノのクラスター。その後、歪んだレゲトン・ビートに叩き潰され、さらに中盤では、Yankee よりも Yeezus を思わせる、遅く機械的な脈動へと変貌する。

元の形に戻ることはない。メロディの反復句もない。ただ動きがある。前へ。横へ。トラップドアの先のインダストリアルな泥沼へ。切り替わるたびにドーパミンが出るのは、期待を満たすからではなく、裏切るからだ。Rosalía は解決には興味がない。彼女が指揮しているのはカオスだ。

形そのものが主張になっている

これは、ただの実験ではない。極めて意図的だ。『MOTOMAMI』は、ソフト/ハード、伝統/未来、ローカル/グローバルという二項対立のコラージュとして構築された。「SAOKO」はその二面性を構造そのもので体現している。短く、うるさく、非線形。サブウーファー越しに叫ばれるテーゼだ。

伝統的なコーラスを与えないことで、Rosalía は自分のコントロールを際立たせる。ついてこられるものならついてこい、と挑発しているのだ。フックは耳に残るメロディではない。その大胆さこそがフックだ。男性によって設計されがちなジャンルに対して彼女が振るう支配力。あまりにも早く終わったように感じるのに、なぜか完結している。その事実こそが核心だ。彼女はフェミニスト的行為として、形式を攪乱している。

ポスト・コーラスのポップと、消えていくリフレイン

Rosalía だけがこうしているわけではない。ポップの景色全体で、従来型のコーラスはゆっくりと死につつある。Billie Eilish はアンチ・フックをささやくように歌い、Frank Ocean はパズルのピースのようにヴァースを落とし込む。Olivia Rodrigo の最大級のヒットでさえ、反復よりもビルドアップに重心がある。

ストリーミング時代、注意力が15秒で死ぬ世界では、見せかけて裏切る手法こそが新しいシンガロングだ。ポップはコーラスの先へ進化している。皮肉なことに、コーラスそのものが予測可能になってしまったからだ。

そして「SAOKO」は、それを捨てるだけではない。破壊し、その瓦礫の上で踊る。

フックなしでも問題なし

「SAOKO」で最も面白いのは、本来なら成立しないはずなのに、ヒット曲のように感じられることだ。従うからではない。期待を爆破するからだ。ポップは、定型的でなくても中毒性を持てる。その証明である。エネルギーこそがフックになりうる。スワッガー――本物で、荒々しく、反骨的な――は、メロディと同じくらい記憶に残る。

Rosalía はこう宣言しているのだ。あなたの構造なんていらない。構造そのものが私だ、と。

ニコ・デルレイ は、ツアー経験のあるギタリストから機材編集者へ転身した人物で、変わり種のペダルやブティック製作をこよなく愛している。中西部各地のDIYクラブで腕を磨き、いまはシンセ、弦楽器、ストンプボックスが積み上がったブルックリンのアパートから執筆している。Audio Chronicle では、レビューのたびにプレイヤーの耳で向き合う――誇張はなし、あるのは正直なトーンだけ。